周りの気持ちに共感しすぎて自分の「本心」を見失いかけること多々。
おとといから昨日にかけてとても疲弊した。
「辞めたい、つらい、うつかも」と言ってくる同僚の言葉を間に受けて、共感し、言葉ひとつひとつから色々を汲み取って話をきく。
「自分からは発信する力がない」というし、今にも死にそうな顔をしているので、あ、これやばいやつじゃんと感じる。
そして本人の了承を得て上長に報告。(同期とはいえ私の方が役職が上なので課員を守る必要があると判断)また本人にも上長から何か連絡があるかもしれないが、その時は自分の気持ちを伝えてほしい。と伝える。
するとどうだろう。
面談を終えた上長からまさかの「私はそんなこと言ってないといわれたと言われて戸惑った笑」と言われる・・・。
そしてその直後その同僚から「なんか違う風に伝わっちゃったかも」とチャットがくる。
もう私のあたまの中はクエスチョンマークでいっぱい。
その結果、私は本当のことを伝えたまでなのに「考えすぎ」「心配しすぎ」「過敏すぎ」というような感じになって終わるという。
誠に遺憾だ。
おそらくだが同僚はどちらにも自分に都合のいいように話をしている。それは人が自分を守る行為であって、まあそういうこともあるだろうな。とそこに共感してしまう自分もいる。
共感してしまうからこそ私はそこをあえて指摘せず、上長に「そうでしたか。でも心配なので見守りは続けたいと思います」と伝える。
また自分を殺してしまった。と落ち込むw
ああ、もっと線引きできていたなら。
ああ、もっと「同僚甘えてない?」という直感に正直になれたら
ああ、もっと気にならないように外部情報をシャットアウトできたら
そんなことを考えてしまう。
ここ数日はその問題にかかりきりで疲れ切ってしまって、毎日日記を書くという自分の決め事も後回しにしてしまった。
あさココアを飲むという決め事すらできなかった。
人のために一生懸命動いたのにもかかわらず、自分の中になにも残らない虚無感。
おまけにそのことで頭がさえさえになってしまって眠れないのだから残念だ。
どうしてこんなにもみんな振り回されないのだろうと考えてしまう。とても羨ましい。
どちらかといえば私は、仕事に関してはとても器用にすることができる。でもその他の上記に述べたことについて私は器用にできないから、そうできる人が羨ましい。
私の感覚ははみ出している。
そんなことを考えているうちに、どんどん自己肯定感さがっていく。
それが今までの私。
でもそういう気質だと気づいた今
人に見えていない世界が見えるのは特技でもあるのかもしれないと少しだけ思える。
自分の本心と理性
踏み込むべきところとそうでないところ
自分の課題と相手の課題
その線引きがもっとうまくできるようになればきっともっと生きやすくなるのかな。
なんて思ったりする。
今日は朝目が覚めてしまったからこうして今アウトプットしている。今日もこの後仕事だ。
今日こそは自分の中にフォーカスを向ける。
そうして自己回復に努めていきたいと思う。
以上!
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